書籍紹介

「バカ」になるということ

『標本バカ』(川田伸一郎 著)
シゼンノ編集部
バカとは何なのか

「バカ」(馬鹿)という言葉を『広辞苑』(第七版)で調べてみると、以下のような意味だとされている。

①おろかなこと。社会的常識に欠けていること。また、その人。愚。愚人。あほう。〈文明本節用集〉。「専門—」
②取るに足りないつまらないこと。無益なこと。また、とんでもないこと。「—を言うな」「—なことをしたものだ」
③役に立たないこと。「蝶番(チョウツガイ)が—で戸が締まらない」
④馬鹿貝の略。夏目漱石、草枕「貝の殻は牡蠣(カキ)か、—か、馬刀貝(マテガイ)か」
⑤(接頭辞的に)度はずれて、の意味。「—ていねい」「—さわぎ」「—陽気」

今回ご紹介する書籍『標本バカ』(川田伸一郎 著)の場合まさに⑤の意味であり、その「標本バカ」こそが、著者である川田氏自身のことである。
川田氏は国立科学博物館に勤務する陸生哺乳類(専門はモグラ)の研究者。日々、「度はずれて」標本収集にあけくれている。

本書は、そんな「標本バカ」である川田氏が2012年から続けている月刊誌『ソトコト』での連載を書籍用に再編集したものである。

本書は最初の項から順に読んでいくことで、日常的な標本収集のオモシロ話から、標本を通じた研究の仕方やその意義、そして、世界の博物館の話へと、どんどんと視点が広がっていくような感覚を持てるように編まれている。
これこそ連載で読むのとは違った、書籍を読むことの醍醐味だろう。

「お義父さん、キョンの死体を拾いたい」

どこから切ってもひたすらその「標本バカ」っぷりがいかんなく発揮されている本書だが、そのパンチラインは、早くも第一章の最初のエピソードから全開である。いわく、

夕食時、僕は意を決して切り出した。
「お義父さん、キョンの死体を拾いたい」

川田氏がご妻女の実家を訪れた際のひとコマを切り取った場面なのだが、娘の夫からこんなことをいきなり切り出された「お義父さん」の心中いかばかりか。(本書によれば大変理解のあるお義父さんだったようで、なによりだ。)

この「お義父さん、キョンの死体を拾いたい」というパワーフレーズは、本書が発売された当初から、Twitter内の生物クラスタの間では大いに話題になった。これまで数々の解剖学者、生態学者が標本に対する熱い思いを様々な形で吐露してきているが、これほどまでにインパクトのある一文はかつて存在しなかった、といったところだろう。

他にもパンチラインに満ちあふれている本書だが、キャッチーでユーモアに溢れて読みやすいだけでなく、本格的な生物学や博物館運営に関するトピックが惜しむことなくふんだんに盛り込まれている。
具体的な内容は実際に読んでみてのお楽しみとするが、自然史博物館好きには全編を通じて楽しく読めることは間違いない。

川田氏が管理する国立科学博物館の哺乳類標本のうち、実際に上野の国立科学博物館で展示されているものは極々一部に過ぎないが、それでも、本書を読んでから同館の哺乳類標本展示を見れば、また違った感慨が湧くことだろう。


余話

ちなみに、この「標本バカ」という呼称は、生物好き界隈ではかなり定着している模様で、あるテレビ番組で生物学好きの小学生が国立科学博物館の収蔵庫を見学に行くという企画において、案内役として一行を出迎えた川田氏に向かって件の小学生が発した第一声が

「あ、標本バカの人だ!」

だった。
また、これに対する川田氏の返しも粋で、

「君も標本バカらしいじゃないか。楽しみにしてたよ」

と。
個人的には、この川田氏の返答は、粋でユーモラス、ということに留まらず、小学生を「子供」として扱うのではなく「小さな研究者」として扱っている懐の深さを感じた。

そんな川田氏の人柄も込みで、本書は必読の一冊である。


2021年04月26日
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