博物館
真鶴町立遠藤貝類博物館はどんなところ?
シゼンノ編集部
今回取材したのは神奈川県真鶴半島の先端に立地する真鶴町立遠藤貝類博物館(以下、「本館」)だ。
名前の通り、貝類をメインに展示・解説をおこなう博物館だが、それ以外の海棲生物や海洋環境などについても学ぶことができる施設である。
前編ではまず、本館の成り立ちについて掘り下げていきたい。
(取材日:2022年7月27日)
風光明媚な好立地
本館が立地するのは「かながわの景勝50選」にも指定されている風光明媚な溶岩台地の先端。
目の前に広がる相模湾と、右手に見える伊豆半島とのコントラストは、何度見ても見飽きない。
天候に恵まれれば伊豆大島を臨むこともできる。
館のすぐ下は生物相豊かな磯が広がる、心ときめくフィールドである。
この磯は安山岩質の岩石でできていて、見るからに冷え固まった溶岩そのものである。
関東においては、堆積岩でできた磯は三浦半島や房総半島にもあるが、溶岩そのもので出来た磯はこの真鶴の一帯の他に無いのではないだろうか。
それだけに、磯での生物観察をするにも、この磯独特の楽しみ方があるに違いない。
(この磯では、館主催の生き物観察会などのイベントも頻繁に開催されているので、後編で詳しく触れたいと思う。)
本館を訪れた際にはぜひ、風景や磯も併せて楽しみたいものだ。
「遠藤」とは
さて、そろそろ博物館自体についての話に移ろう。
本館は名前のとおり町立の博物館なのだが、初見の人にとってはその館名に含まれる「遠藤」の2文字が気になるのではないだろうか。
実はこの2文字は本館の設立経緯にも大きく関わる、アイデンティティともいうべきものなのだ。
というのも、本館に収蔵されている貝殻標本のほとんど(4,500種、50,000点)はたった一人の収集家・遠藤晴雄氏からの寄贈によるものであり、その遠藤氏の名を冠して博物館の名前としているのである。
そのような膨大な貝殻コレクションを個人で保有していた遠藤晴雄氏とはいったい何者なのか。
公的な肩書きでいえば、地元・真鶴の教育者であった。
小・中学校の教諭として理科教育に携わった後、真鶴町の教育長を長年にわたって務めるなど、教育行政にも力を尽くした人物である。
幼い頃から海の自然や生物に親しみ、中学時代には細谷角次郎氏(昭和天皇が海の生物の観察・採集をする際に度々お供をするなど、貝類収集の世界では非常に高名な人物)と出会い、強い影響を受けて貝類の収集にのめり込むことになった。
この頃に採集された貝の中には、その後の自然環境の変化の中で、現在では相模湾において見られなくなった種もあり、学術的にも貴重な標本となっている。
後年、遠藤氏は自宅を改装して貝類の私設博物館を開設するなど、収集のみならず教育・普及にも勤められたそうだ。(古いカーナビでは今でも当時の私設博物館が表示されるので、マイカーでアクセスする際には要注意。)
その膨大なコレクションは、2006年に遠藤氏が亡くなられた後に真鶴町に寄贈され、そのコレクションを元に2010年に本館が設立されたわけである。
コレクションの成り立ち
遠藤氏の膨大なコレクションには地元である相模湾の貝類が多いのだが、もちろんそれだけで4,500種ものコレクションが成立するわけがない。
その収集対象は日本全国、そして全世界に及んでいた。
遠藤氏はそれらを、自身で現地採集する場合もあれば、コレクター同士の交換・売買や、全国・全世界での買付、さらにはオークションなどの方法で入手したそうである。
貝殻自体の購入費用だけでなく、旅費なども考え合わせると、かなりの私財を投下して収集されたコレクションであることが想像できる。
これほどまでして遠藤氏を没入させた貝類とは、どのような魅力を持つものなのか。
それを伝えるのも、まさに本館の大きなテーマの1つである。
後編では、本館の展示についてお話しすることで、遠藤コレクションの多様性や希少性などについても触れていきたい。
(後編へ)