博物館
葛生化石館はどんなところ?
シゼンノ編集部
今回取材したのは栃木県佐野市にある葛生化石館(以下、「本館」)だ。
現在の行政区分上では佐野市だが、2005年に佐野市と合併するまでは葛生町という自治体で、本館にはその頃の名前が残っている。
古生代の古生物好きの間で特にファンの多い本館について、前編・後編の2回に分けてその見どころを深く掘り下げていきたい。
(取材日:2022年8月24日)
まずは成り立ちについて
なぜ葛生に、化石に特化した博物館が誕生したのか。
葛生化石館が「化石館」として開設されたのは2002年。
その前身は葛生町郷土資料室という名称で、民俗・歴史・産業・文化といった葛生の様々な資料を集めて展示する施設であった。
それを「化石館」に変更したのは、当時の葛生町長の肝煎りであったという。
葛生は昔から石灰岩採掘の盛んな土地で、その石灰岩の地層からは古生代ペルム紀の化石が産出したり、石灰質の地質の影響で状態の良い新生代の大型哺乳類化石が発見されたりといったこともあり、石灰石採掘会社やアマチュア化石研究家などから寄贈された化石標本が豊富に収蔵されていた。
これを活かして、郷土資料室から化石館へと生まれ変わったわけである。
古生代ペルム紀の化石について
そんな葛生化石館において、最も力が注がれている展示が古生代ペルム紀のコーナーだ。
古生代ペルム紀は、カンブリア紀から始まる古生代の最後の約4,700万年間を指す。
ペルム紀の始まる頃には、超大陸パンゲアはほぼ完成しており、陸上では爬虫類もすでに活動していた。
海の中でももちろん、全時代から続く様々な生き物が活発に活動し、みんな大好きなアンモナイトや三葉虫もたくさんいた時代である。
ただし、ペルム紀末にはこれまでの地球の歴史上最も激しく生物の大量絶滅が起こったことで知られている。(原因ははっきり分かっていない。)
そのことを知る我々の目からは絶滅の前の一時の繁栄のように思えるペルム紀だが、それでも「繁栄」という言葉に相応しい多様な生物が闊歩していた。
そのような「繁栄」を全体的にイメージできるよう、地元産出の化石はもちろん、日本の他の地域や、他の国で発見された化石標本などもふんだんに展示しているのが本館のペルム紀コーナーである。
特に一番の見どころは、単弓類と呼ばれる、哺乳類の先祖となった動物の化石標本だ。
単弓類といえば、古生物に詳しい人ならばディメトロドンを真っ先に想起するだろう。
実際、大きな博物館に行くと、ペルム紀のコーナーには大体ディメトロドンの骨格標本が展示されているが、それ以外の単弓類の全身骨格標本が展示されているケースは多くないのではないだろうか。
このため、単弓類といえば背中に帆があるものと思っている方も少なくないのではないかと思う。
だが、帆があるのは一部の種だけで、帆がない単弓類のバリエーションも非常に豊富なのだ。
そのなかで、本館ではエンナトサウルスとイノストランケビアという帆の無い2種類の単弓類の全身骨格標本を展示している。
また、同じ時代に生き、もしかしたらイノストランケビアのエサになっていたかもしれないスクトサウルスという無弓類(「無弓類」という分類の生物もいたのだ)の全身骨格標本も併せて展示されている。
なお、本館のイノストランケビアとスクトサウルスの標本は、古生物ファンの間では「黒本」の愛称でお馴染みの書籍「生物ミステリーPRO」シリーズの『石炭紀・ペルム紀の生物』(土屋健 著)にも採録されているほどの標本なので、ぜひ本館で現物を見ていただきたい。
単弓類だけがペルム紀じゃない
もちろん、ペルム紀の面白さは単弓類だけではない。
まさにそれを伝えるべく、ペルム紀の生物について総合的に展示・開設しているのが本館である。
後編では本館のペルム紀展示について、より全体的に紹介していきたい。
(後編へ)