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金生山化石館はどんなところ?

第15回 金生山化石館(前編)
シゼンノ編集部

今回取材したのは金生山化石館。

美濃赤坂(岐阜県大垣市)にある金生山の中腹にあり、主に化石を展示・解説する施設だ。

そんな金生山化石館の魅力を紹介したいと思う。

 

(取材日:2023918日)

 

 

金生山化石館とは

 

日本の歴史が好きな人にとっては、美濃赤坂といえば関ケ原の合戦直前の大垣城決戦に向けて東軍が陣を置いた場所として有名だろう。

その美濃赤坂のシンボルのような山が金生山だ。

金生山は濃尾平野の北西端にまるで小島のように浮かんでいて、良質な石灰岩の採掘場として複数の企業が操業している。その石灰岩の中に大量の化石が含まれているのだが、その良質な化石を収集・展示する施設が、金生山化石館(以下、「本館」と表記)である。


 

熊野氏の没後、赤坂町商工会や熊野先生顕彰会などが中心となり、赤坂町商工会事務所の隣に展示施設を設けて、金生山で採集した化石コレクションを展示していたそうだ。

その後、施設も2度の移転を経て、赤坂町は大垣市と合併し、最終的にコレクションも建物も引っくるめて丸ごと大垣市に寄贈されて今日に至っている。

もちろん収蔵品は当初のままではなく、現在もかつて金生山で採集された化石が多数の収集家から寄贈され、現在もどんどん増え続けている。

(なお、現在は鉱山の安全管理上、鉱山会社の関係者以外の立ち入りが厳しく制限されているので、一般の人が化石を採集することはできない。)

 

化石の展示・解説を専門とする博物館や展示施設はたくさんあるが、本館は、金生山という小さな山で産出した化石を収集・展示する施設という意味で非常に珍しい。このようなピンポイントな地点の化石に限定したコレクションがこれほど豊富に収集されている施設は、日本では他に類を見ないのではないか。

そのようなコレクションを可能にする金生山という場所は、それだけ稀有な存在である。

 

 

金生山はどこから来たのか

 

先にも触れた通り、金生山からは良質な化石が多数産出される。そのほとんどは海洋生物の化石なのだが、では、金生山の元となった場所はどのような場所で、いかにして今に至ったのか。

これにはダイナミックな地球の営みが凝縮されている。

 

もともと金生山(の元となった場所)は、遠く赤道付近の海にあったサンゴ礁の小島だったと考えられている。

それは古生代ペルム紀の中期(約26千万年前)という、非常に古い時代(恐竜が地球に登場する前)の話だ。

当時の陸地はまだ今のような七大陸に分かれておらず、全ての大陸が合体したパンゲア超大陸と呼ばれる巨大な陸地を形成していた。その超大陸には、これまた巨大な内海があり、その内海の入口に金生山(の元となった場所)は浮かんでいたのだ。

 

その後、そのサンゴ礁の小島(金生山の元となった場所)は長い年月をかけて大陸に近づいていき、今のユーラシア大陸の元となる陸地の端っこにぶつかり、大陸の一部となった。

このような、島や海底に堆積した土砂などが大陸にぶつかって陸地となった場所を付加体というのだが、後に金生山になる場所も付加体の一部だったわけである。このような地殻運動については本館にも解説展示があるし、地質に関する展示がある博物館にも解説展示のあるところは多いので、詳しくはそれらをご覧いただきたい。

 

その後、金生山となる場所やその周辺は、新生代になってユーラシア大陸の東端から離れ、島を形成した。それが今の日本列島である。何億年もかけた地球規模の壮大な活動の結果として、いまの日本列島が形作られ、かつては赤道付近にあった小島が濃尾平野の北西に位置する山となったのである。

 

 

金生山からはどんな化石が見つかるの?

 

金生山から見つかる化石の多くは、古生代ペルム紀の海棲生物の化石だ。

当時の金生山(の元となった場所)はサンゴ礁の小島だったわけだが、サンゴ礁の小島は、大陸にぶつかるまでずっと同じ形のままだったわけではない。

 

最初は何もない海に、海底火山の噴火で島ができたのだろう。

その島の裾野にサンゴ礁が形成され、サンゴだけでなくウミユリや腕足類などが繁栄したと思われる。その後次第に島が沈降して堡礁ができ、その後島が完全に沈降して環礁となった。堡礁や環礁では、浅い海(ラグーン)が形成され、そこにはたくさんの貝類や小さな魚が生息していた。この一連の流れの中で生物たちの死骸が堆積し、今の金生山で発見される化石の元となったのである。

 

これらの生物たちの死骸は、すべて化石となるわけではない。むしろ、化石となるのはごく一部の個体だけである。

冒頭で触れた通り金生山からは良質な石灰岩が採れるのだが、その石灰岩は、元はといえばこのサンゴ礁に生きたサンゴやウミユリ、フズリナなどの死骸に含まれる炭酸カルシウムが大量に積み重なって形成されたものである。

これらの炭酸カルシウムは通常、白っぽい色をしており、実際に金生山の下層においては地層が白っぽい。だが、金生山の上層、つまり時代が上るにつれて、同じ石灰岩でも色が黒っぽくなる。

これは、島に堡礁や環礁が形成されて水の流れの穏やかな環境になると、炭酸カルシウムだけでなく有機物も一緒に堆積するようになり、それらの有機物が多く含まれると黒っぽい石灰岩ができあがるのだ。

全国の鉱山から採掘される石灰岩は、白っぽいものから黒っぽいものまで様々だが、金生山の場合は下層から上層に向かうにつれて、白から黒へとグラデーションするのである。

 

ちなみに、本館の展示解説によると、有機物を多く含む黒っぽい石灰岩は、こすると石油のような匂いがするのだそうだ。

 

さて、そんな石灰岩の塊である金生山だが、下層の白っぽい部分からはウミユリや腕足類の化石が多く見つかり、上層の黒っぽい部分にいくに従って貝類の化石が多くなるのだそうだ。ラグーンが形成される前と後では生物相も変わるということなのかもしれない。

 

後編では、それらの化石標本の数々を紹介していきたい。

 

後編へ)

 

2023年10月22日
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