博物館
瑞浪市化石博物館はどんなところ?
シゼンノ編集部
今回取材したのは岐阜県瑞浪市にある瑞浪市化石博物館(以下、「本館」と表記)。
瑞浪市は「化石のまち」を掲げるだけあって、大量の、多種多様な化石を産出する化石スポットだ。そんな瑞浪市にある化石専門博物館である本館の魅力を紹介していきたい。
(取材日:2023年9月16日)
きっかけは建設工事
みなさんは、何らかの工事現場から遺跡が発見された、というようなニュースを見聞きしたことはないだろうか。
遺跡に限らず、大掛かりな土木工事で地面をほじくり返すと、地下にひっそりと埋まっていたお宝が発見されることがあるものだ。
実は本館が設立されるきっかけとなったのも、そのような工事現場での発見だった。
(下掲の写真は、その際に発見されたクジラの化石)
瑞浪市やその周辺には、瑞浪層群と呼ばれる地層がある。
それは今から2000万年〜1500万年前の時代の地層で、地質年代としては新生代第三期中新世にあたる。その瑞浪層群からは多種多様な化石が発見されることが古くから知られており、1957年にはその地層の一部・明世化石(瑞浪市明世町)と呼ばれる一帯が岐阜県の天然記念物に指定された。
この明世化石が、1971年からの中央自動車道建設工事の対象地域となり、工事と並行して調査が進められたのだが、結果、そこから大量の化石標本が得られ、これをまとめて展示をして教育に役立てようと設立されたのが瑞浪市化石博物館なのだそうだ。
(明世化石が天然記念物に指定されていたからこそ調査がおこなわれたわけだが、そうでなければきっとそれらの化石も土砂として廃棄されたり、どこかの埋め立てに使われていたのだろう。やむを得ない話とはいえ、なかなかヒヤリとする話だ。)
設立にあたっては、道路工事の際の調査に参加した糸魚川淳二博士など、たくさんの方々が尽力されたそうだ。
ちなみに糸魚川博士は古生物学だけでなく、瑞浪周辺の地質を精緻に調査して地質図を完成されるなど地質学でも大きな足跡を残されており、また、博物館学の分野でも非常に大きな成果を挙げられた研究者である。その論文の一部は、オープンアクセスとなっている瑞浪市化石博物館研究報告のバックナンバーでも読むことができるので、ご興味のある方は是非。(瑞浪市化石博物館研究報告のバックナンバーはこちら)
当時の瑞浪はどんな環境だったのか
先にも触れたとおり、瑞浪市やその周辺では、大量の多種多様な化石が産出される。しかも、保存状態の良い化石が多い。そのため、本館では地元から産出される状態の良い大量の多種多様な実物化石の中から、選りすぐりを出し惜しみすることなく展示することが可能なのだ。
最も多く展示されているのは貝類などの無脊椎動物の化石で、その種類の豊富さや保存状態の良さには目をみはるのだが、もちろんそれにとどまらず、デスモスチルスやパレオパラドキシア(下掲の写真)のような謎多い絶滅哺乳類や、クジラのような海棲の大型哺乳類なども多数展示されている。
このような多種多様な生物が暮らしていた当時の瑞浪はどんな環境だったのか。
まず、当時の日本列島がどのような状態であったのかについてお話ししたい。
もともと日本(の地面を構成している岩石)は、ユーラシア大陸の東の端っこを構成していた。つまり、大陸の一部だった。
それが、瑞浪層群の最も古い時代である2000万年前ぐらいには、地球を構成するプレートの運動の影響で大陸の東の端っこが裂け、徐々に大陸から離れていったと考えられている。その後、その裂けた端っこと大陸とはどんどん離れて現在の日本海が形成され、1500万年前には概ね日本海の拡大が終わったようだ。つまり、瑞浪層群を形成する2000万年〜1500万年前の時代とは、日本列島が形成される土台ができた時代といえる。
そのようなダイナミックな地殻変動の時期には地震や噴火が頻発して、生きていくのが大変だったのではないかと想像してしまうのだが、瑞浪層群の生き物たちは豊かな生態系を形成していたのだから、案外暮らしやすい環境だったのかもしれない。
さて、その瑞浪層群の当時の環境だが、浅い海であったと考えられている。(時代と場所によっては、少し深い海や陸地もあったようだが、概ね浅い海だったようだ。)
それは、発見される化石の種類や状態から推察できるそうだ。(当時の環境を知る上では、大型の哺乳類化石が数体発見されるよりも、多種多様な貝化石が大量にある方がよほど役に立つのだ。)
ただし、浅い海といっても、浅すぎる場所(たとえば波打ち際など)であれば波の影響などで、生物の死体が化石になる前に欠けたりバラバラになったりなどして、瑞浪層群のような状態の良い化石にはなりにくい。つまり瑞浪は、浅いけれども浅すぎない海だったのである。
現代でも、そのような環境は非常に多種多様な生物が生息し、生物の密度も高い。当時の瑞浪もそうだったのだろう。
どんどん増えていく収蔵標本
このように、化石がたくさん発見される瑞浪層群は、本館設立のきっかけとなった中央道工事現場で発見された化石ばかりが収蔵・展示されているわけではない。その後も、たくさんの化石が発見され、本館に収蔵・展示されている。
たとえば、2017年には、地元の中学校の敷地造成工事の現場からクジラやエゾイガイの化石が発見され、本館に収蔵・展示されている。
このクジラは全身の60%もの骨が発見されたのだが、展示されている下顎の骨は寸断されている。この化石は重機で掘削している際に発見されたものなのだが、その際に壊れてしまったのだそうだ。
(下掲の写真は、発見されたクジラの下顎の化石)
工事に付随しなければ発見されなかった化石なのだから、このような破損はやむを得ないとはいえ、なんだかとても勿体ないという思いも込み上げる。
そのほかにも、2020年に本館近くの道路工事現場では鰭脚類の頭骨が発見された。
これは西太平洋のアシカとしては最古の化石と見られており、アシカの進化を研究する上で大きな発見だと考えられている。まだ学名は付けられていないものの、ミズナミムカシアシカの仮称で展示されている。
このように、瑞浪層群から続々と化石が発見され、それらが次々に展示されていくのが、本館の大きな魅力の一つと言えるだろう。
後編では、そんな化石たちを通じて、さらに本館の魅力を深掘りしていきたい。
(後編へ)